あの日、東京のサーバーは動いていた







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糖度9度+の極甘スーパーフルーツトマト

おてもと


     これは、部長から聞いた話だ。ということは、誇張は必ずあるが、たぶんウソではない。
     あの日の午後、部長は宇都宮市の駅近く、10階建てビルの9階にある事務所にいたそうだ。
     その日は終業後、大事な仕事があって夜遅くなるので、最初から帰れないと諦めて、これまた駅近くのホテルをシングル一泊で予約してあったらしい。もちろんそう言えば聞こえは良いが、いくら大事とはいえ終業後に別の仕事があるはずがないし、諦めてというほど観念した様子の話ではなかった。金曜日の夜だ。つまり、お付き合いの飲み会で遅くなる、というだけのことだ。

     しかし、それがなかったら、この話もなかった。

     なんでもない一日の午前中がなんでもなく過ぎ、午後のひと仕事で区切りがつきそうなあたりで、誰もが予想もしていなかった最初の一撃がきた。

地震発生


     最初の揺れからして、それまでに経験したことのないものだったそうだ。こりゃ大きいぞ、と身構える間もなく…
     机の上のものは倒れて横に吹っ飛ぶ。壁の時計は落ちて割れる。窓際の金庫は転がり出す。ロッカーの扉も外れて倒れる。窓のブラインドは派手な金属音をあげて暴れまわる。キャスター付きの椅子は揃って大移動した。
     気が付いた時には停電していて、部長はノートパソコンだったから電源は切れなかったそうだが、デスクトップパソコンの人は何が起きたかわかるまでに時間がかかったらしい。

     ひと収まりついた頃、また次の大きな揺れがきた。震源地が別の所だと判ったのはかなり後のことだ。そこにいた全員が、もう一度揺れた、と思った。その内の半分は早くも机の下にいる。

状況確認


     引きつった顔、青ざめた顔が多いなかで、さっと立ったのが部長だったそうだ。似合わない気がするが、本人が言うのだからしょうがない。
     「みんな、落ち着け」「ケガした人はいないか」
     幸いなことに、この時点ではいなかったようだ。とりあえずその場にいる無事な人の名前を手元の紙に書く。

     「よし、ここはみんな無事だ」「ここにいないヤツは誰だ」

     これも後でわかったことらしいが、この時これを聞いた何人かは「いないヤツは返事しろ」というギャグだと思ったそうだ。確かにそうかも知れない。部長は我々には部長だが、あそこではただのウケ狙い芸人だから。ギターなんか置いておくからだ。

     しかし、意味のわかった人から返事が上がってくる。
     「田中さん、いません」「鈴木さん、いません」…
     今度は、いない人の名前を書く。まず全体概要の把握が先だ。20人中、半分が外出していたらしい。

     「よしわかった」「みんな、今ここに居ないのは10人だ」「じゃあ順番に聞くぞ」「田中の行先を知ってる人、誰かいるか」
     そうしている間にも揺れがくる。そのたびに悲鳴があがる。でも部長は立って書いていたらしい。
     「田中さんは県庁のはずです」「鈴木は」「たぶん市役所です」…
     最近の事務所には昔のような行先ボードがない。みんなグループウェアで管理しているから、いざ停電となってネットワークが切れてしまうと確認のしようがない。みんなが「…のはず」で話をする。

安否確認


     「よしわかった」「じゃ役割を決めるぞ」「田中に連絡とるのは誰だ」「私やります」「鈴木に連絡とるのは」「僕やります」…
     一通り役割分担ができて非常時の組織が動き始めると、これまた予想通りといえば予想通りの状況が待っていた。携帯も固定も、とにかく電話がまったく繋がらない。携帯のメールも送ることは送れるが、返信がないと届いているかどうかもわからない。

     停電だから応接室のテレビも見られない。唯一の情報源はケータイ。いまから思えば携帯ニュースサイトはいくらでもあったと思うが、その時は携帯ワンセグのテレビニュースを、みんなに聞こえるようにボリューム最大でつけ放しにしていたそうだ。
     「震源地は東北太平洋側沖、マグニチュード7.9」というアナウンス聞いて、部長は「関東大震災だ!」と叫んだらしい。あの人でも叫ぶことがあるというのが、事態の深刻さを表わしている。その後マグニチュードは8.4から8.8に。それだけでも過去最大という感じだが、最後には9.0と報道された。

     そうしている間にも余震のたびに物が落ちたり倒れたりして悲鳴が続いたそうだが、
     「佐藤さん無事です」「どこにいた」「宇都宮線が途中で止まってるそうです」「わかった」
    という連絡が次第に入りはじめ、徐々に安否確認が進んでいったとか。夕方までには全員の無事が確認できたらしい。ここではじめて部長もほっとしたと言っていた。

     その頃には、落ち着きを取り戻してきた人と、震えたままの人に大きく分かれたそうだ。わかるような気もする。交通機関は軒並み全部止まっているということなので、帰れる人から安全に帰って下さい、ということになったそうだ。なにしろビルだけでなくあたり一帯が広域停電だから、暗くなったら危険がふえる。

     だが、この話はここで まだ半分だ。

ひと休み


     この時のみんなの「大変だ」「どうしよう」という思いの半分は、過去経験のない大地震に対する未知の恐怖から来ている。そして残りの半分は、「交通手段がない」「帰れない」という既知の困惑から来ていたと思う。家族にクルマで迎えを頼もうにも電話が掛からない。そうこうしているうちに、ケータイは電池切れ。だから普段はとても歩けないような距離を歩いて帰ったり、自転車を借りて帰ったりと、さまざまだ。

     ここで話は最初に戻る。部長はこの日はそもそも宇都宮に一泊の予定だった。ホテルは予約してある。帰る心配がなかったのだ。「どうしよう、どうしよう」という大勢の人たちを前に、平然と落ち着き払って安否確認を遂行していたのには、どこかにそういう心の余裕があったという裏の事情もあったそうだ。あまり大きな声では言わないでくれと言われている。

外に出る


     18時で一旦全部の区切りを付け、停電で動かないエレベータではなく避難訓練通りに非常階段で9階から1階まで降りた頃には、あたりはもう暗くなっていたそうだ。もちろん、停電で街中に明かりがないせいもある。途中のコンビニの入り口には「全商品売り切れ」の紙が貼ってあったらしい。とにかく、コンビニの店内が真っ暗、という光景は自分の目で見ていなければ信じられない。
     当然その日の飲み会は中止、というより誰も来られなくて消滅、という感じだったとか。信号の消えている大きな交差点の横断歩道をどうやって渡ったのか、よく覚えていないそうだ。

フロントで


     どうにかホテルに着いても、停電だからロビーも真っ暗、フロントも真っ暗。「予約済みの方はこちらです」と言われてローソクの明かりを頼りに食堂に行くと、スタッフさん達がテーブルに紙の台帳を広げてアタフタと対応。ざっと見ただけでも10人くらいが待っている。そこで部長が聞いたという話が、今日の本題だ。そのまま書くと、つまりこうだ。

     ひとり前の人が、フロントさんともめていた。

     午後の地震以降、これは帰れないと思ってケータイからいろんな宿泊予約サイトにアクセスし、とりあえず当日の宿を確保した人が多かった。これは何もおかしくない。
     しかし、その宿泊予約サイトのサーバーは、たぶんその多くは東京にあって(東京とは限らないが)、なんの被害もなく動いていたのだ。当然、地震直前までの空き部屋数をその後も順次予約として受け付け、現地のホテルなど宿泊施設に連絡する。

     だが今回は、この「連絡する」というパスが切れていた。現地は停電していて、パソコンのメール受信もできなければ、FAX受信もできない。しかも、電話も繋がらないのだから、その状況を宿泊サイト側にフィードバックすることもできない。東京のサーバーは、たぶんそういう現地の状況を認識できていなかった。たとえ認識できていたとしても、被災地の宿泊施設それぞれの状況に応じて、すぐに個々の受け付け可否を設定できるような仕組みや運用にはなっていなかった、と思う。

     だとすると何が起こるか。

     ホテルに泊まりたい人すべてが、ケータイで宿泊予約サイトにアクセスするわけではない。電話すら繋がらないのだから、「今日泊まれますか?」と言って直接フロントに来る人も多かったということだ。ホテル側は地震直前までの空き室状況は紙の台帳でわかっているから、空いていれば受け付ける。そうせざるを得ないと思う。既に現地受付分は満室になっていたようだ。

     組み合わせによっては物騒なことに成ってもおかしくない状況だが、「予約取れたんですけど」と主張していたのは、郊外の工業団地に出張で来た技術者という感じの真面目そうな人だった。フロントさんが「地震後は停電で予約情報が来ないので受け付けられていないんです」と「申し訳ございません」を何重にも繰り返していた。相手は「そうですか…」と納得した。
     ところがそのあと、自分の耳で聞いたのでなければとても信じられないような言葉を聞く。
     「当日取消だから、キャンセル料かかりますか」
     フロントさん大慌てで、「そ、そんなことはありません、大丈夫でございます」
     こういう極限状況でそんな心配までする人がいるということに、とんでもなく驚いた。

     そしてもうひとつ。自分の番が来た。フロントさんの「こんな具合なので、会計は現金で****円にさせて戴いております」。
     現金はわかる。停電で、クレジットカードのリーダーも通信回線も使えないからだ。しかし金額は、予約金額の数分の1だった。提供できるサービスを考えれば確かにそうかも知れないが、それはほとんどホテル側のせいではない。逆にこういう事態ならいくら高くても泊まりたいという人もいるはず。でも宇都宮のホテルはそんなことはしなかった。

長い夜


     自分のチェックインは簡単に済んだ。ところが、ひと月も前から予約してあったので部屋は7階。停電だから当然エレベータは動かない。真っ暗な中、まるでテレビ歌番組のステージのように両脇にずらっとカップキャンドルが並ぶ廊下と階段をそろそろと登りながら、やっとのことで部屋に到着。

     しかし部屋に入っても停電なのに変わりはなく、バス・トイレも真っ暗。ケータイはとっくに電池切れ、しかし充電する方法がない。テレビも見られない。エアコンも動かない。予備のふとんまで出して包まってなんとか寝たが、夜中に何度も余震で起きた。7階だからそれなりに揺れる。窓から見える街は真っ暗。なにしろ何も情報がないということが不安。「長い夜」だから、4時25、6分前にも起きた。

     それでも、太陽系三男坊の些細な表面上の気まぐれには何のお構いもなく、母親はいつものように山の端から顔をだし、何かあったのかしらと言わんばかりに周りを明るくしていった、ということらしい。あぁよかったと、夜明けがあんなに嬉しかったのは本当に初めてだと言っていた。

     地震の状況、被害の状況がわかるのは、翌日午後に電気が戻ってからだったそうだ。1か月の短期留学でカナダの大学に行っているお嬢さんからのメールを読めたのも、そのころらしい。

想定外か


     震災後、想定外という言葉がたくさん使われた。ここでその是非を論じるつもりはないが、今回の宿泊予約の件に関しては、そう言えば…と考えられる類似事象は有ったらしい。

     ホテルのオーナーだった方から部長が聞いた話とのことだが、ホテルのフロントシステムとインターネットを繋いでいる機器が壊れたことがあるそうだ。ルーターとか、ハブとかの類いだと思う。当然、フロントのパソコンで宿泊予約サイトとの連絡が出来なくなるが、そんな日に限って電話やFAXでの予約が予想外に入り、宿泊予約サイト側の受付を止めて貰わないと「あふれる」、つまりオーバーブッキングになりかねない状況になった。

     しかしその受け付け停止は、普通はパソコンから直接依頼する仕組み、つまりWeb画面なのでインターネットに接続できないことにはどうにもならない。結局は、契約している幾つもの宿泊予約サイトに電話をかけまくってそれぞれ担当者を捕まえ、こういう状況なのでウチの受け付けを止めてくれ、と頼みまわったそうだ。

     つまり、現地システムがダウンしているのをサイト側が把握できないと、現地のキャパシティを超える処理を知らずに押し付けることになる、という前例がちゃんとあったのだ。今の宿泊予約システムで言うと、サイト側が受け付けた時点で予約成立完了、サイト側は現地に一方的に通知、もし問題があれば返信、という仕組みだけではこういう事態はいつかは必ず起きる。これは想定外とは言わないと思う。

あがり


     へんな話ばかりしてせっかくの寿司が美味しくなかったかも知れないが、でも部長の話はそういうことらしい。わかるような気もする。

     部長は次の日から、昼はお客様の運用監視センター、夜は宇都宮のホテル住まいになった。お客様先詰めは一週間で終わったが、部長の辺りは公共交通機関がすべて被災していて、結局1か月のホテル住まいになった。あの頃は毎日の計画停電もあったから、大変だったはずだ。

     明日の移行作業は現地9時開始だ。9時開始だからと言って9時に来ると、9時と言われて9時に来るヤツがいるか、って部長に怒られるからちゃんと来ること。



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