相撲茶屋 玉龍







このサイトはSitehinaで作成されています。

スーパーフルーツトマト

糖度9度+の極甘スーパーフルーツトマト

 ずっと気になっていたことがあった。少しまとまった時間が取れたので、やっとの思いで手を付けてみたのがこれ。

「玉龍」というお店があった

 かつて、宇都宮の駅東口にに玉龍(たまりゅう)という相撲料理店があった。かつて、ということは、今はもうない。「玉龍」というお相撲さんとその奥さまが経営されていた。

(写真は「食べログ」さん掲載当時のもの、以下同じ)

 玉龍というお相撲さんを調べるには、WikiPediaが一番簡単である。または、「相撲レファレンス」というデータベース的なサイトでも調べられる。でもまぁ、それはそれで。
 玉龍さんは長崎県長崎市の出身だが、どういう経緯で栃木県宇都宮市に引退後のお店を開いたのかは知らない。奥さまの地元ということかも知れないが、まったく違う理由かも知れない。

 そんな理由はともあれ、とにかく相撲茶屋「玉龍」は、自分が当時勤務していた会社事務所のすぐ近くだったのだ。これはまったくの偶然で、偶然以外の何物でもない。

 当時の評判は、何と言っても「玉龍関本人が腕を揮う料理!」「白味噌仕立てで胡麻風味のちゃんこ鍋は最高」「刺身盛りと焼き鳥盛り合わせ、串焼き盛り合わせ、お勧めはカボチャのアーモンド揚げ」などなど。締めにお握り(栃木ではオニンコと言います)を頼むと、並と大があって、遠慮して並を頼むと「お相撲さんの並」=普通の倍くらいのお握りがでるという話だった。

 お店は一階がカウンター席と座敷席、二階が宴会間となっていて、会社ではよく新人や配転者などの歓送迎会で二階を使わせて貰っていた。なにしろ、自分が歓迎会をして貰ったのがここなのだ。たまに本社から偉い人が来ると、支店をあげての懇親会になり、専属の運転手さんは一階のカウンター席で上と同じようなメニューでアルコール無しの待機、ということも結構あった。

クリックで拡大
クリックで拡大
 自分が宇都宮支店に着任したのが2001年5月の連休明け。名刺オモテの上には「2001.5.8歓迎会」という証拠の書込みがある。もちろん、どんな挨拶をしたかは覚えていない。
 名刺ウラの地図に出ているホテルやスーパー、レストランなどは今ではほとんどが違う名前になってしまった。

ある時、幹事を拝命

 一般的に地方の支店では歓送迎会や年度の打ち上げ、何とかの決起大会とかで、結局最後は公式な宴会となることが多い。こういう行事には必ず「幹事」というのが任命される。ほとんどは毎回持ち回り役のため、たまたま2006年(平成18年)の歓送迎会の幹事を仰せ付かった。まず場所を決めなければならないが、元より得意な分野でないので、近くて安心という無難な選択で「玉龍」とさせて戴いた。これもどちらかと言えば偶然の部類に近い。

 かくして支店の歓送迎会は無事に挙行され、お店の方々が料理や飲み物などを毎回階段で上げ下げするのを(大変そうだなあ)と余計な心配をしている間に、時間も来て締めのお開きとなった。


 会計も当日は会費の数千円×人数分で無事に締まった。ところが翌日、どこかで見えない力が働き、領収書を2枚に分けて貰うことになった。当然、頼みに行くのは幹事の仕事である。「よく分かんないんですけど、これですね…」と申し訳ないお願いをしに行ったが、奥さまご快諾。ハイハイとあっと言う間に金額を2枚に分けて領収書を交換してくれた。ここで書いて良いものかどうかも判らないが、時効を願おう。その時に、領収証の印紙に押してくれたハンコから、玉龍さんは「永田」さんという名前なんだ、と判った次第である。

 結局、自分が幹事役を担当したのは、この玉龍さんでの1回だけだ。あとはまた次の持ち回り幹事で新しいお店や、全国チェーン店、若者向きの店、地元のハワイアン・ダイニングバーなどとよく替わったが、その後も玉龍さんのことも何度かあった。それにしても、玉龍さんからすれば、自分などは大勢あるお客様の中の「たった1回、幹事だった人」でしかない。偶然のそのまた端っこである。

 ところがそれこそが、重要な1回だったのかも知れない。今となっては、自分には玉龍さんは大切なお店だ。

お客様との繋がりを大切に

クリックで拡大
 その年の7月、玉龍さんから会社に、しかも自分への名指しで暑中見舞いが届いた。
 はじめは、「へ〜、幹事やるとこういうのまで来るんだ」と思った。玉龍関が化粧まわしで弓を取る絵柄は、名刺のものと同じである。


涼 暑中お見舞い申し上げます
  又のご来店お待ちしております  相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

 翌2007年(平成19年)正月には、会社にまたも名指しで年賀状を戴いた。亥・イノシシ年である。
 なんと、ちゃんとお店のホームページURLと、メールアドレスも入っている。


亥 新春のおよろこびを申し上げます
  平成十九年 元旦  相撲茶屋 玉龍
クリックで拡大

 7月には、暑中見舞いまで届く。ここからは、フリーダイヤルまで入っている。
 何よりも、オモテには個別の手書きメッセージ入りなのだ。


 夏の「特別企画」開催中
 是非この機会にご来店お待ちしています
 お得な「メール会員」募集中(→QRコード付き!)

暑中お見舞い申し上げます
 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

 こうなると、翌2008年(平成20年)の年賀状も届く。子・ネズミ年だ。段々と別に不思議に思わなくなってくるのが不思議だ。


あけまして
 おめでとう
  ございます

 平成二十年 元旦 相撲茶屋 玉龍
クリックで拡大

やはり、当然のように暑中見舞いも来る。
このヒマワリは、玉龍関と奥さまを思わせる。


風 暑中お見舞い申し上げます
  大変お世話になっております
  酷暑の折 皆様の御健康をお祈りしております

  平成二十年 盛夏 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

2009年(平成21年)にも、ちゃんと年賀状を戴いた。丑・ウシ年である。図柄にもちゃんと牛が入っている。


慶 春

 新春を迎え、平素のご厚情に感謝致しますとともに
 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

 平成21年元旦 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

やはり、2010年(平成22年)にも年賀状が届く。寅・トラ年だが、七福神の絵柄なので、珍しく横長の構図であった。


謹賀新年

 本年もよろしくお願い申し上げます
 平成22年 元旦 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

 2011年(平成23年)にも当然のように年賀状が届く。卯・ウサギ年である。この年から、ホームページURLはオリジナルドメインで書かれている。

 忘れてはいけないのは、この年の3月11日に東日本大震災が発生。宇都宮でもかなり被害が大きく、建物設備系の被害だけでなく、特に我々の会社の地域つまり玉龍さんの辺りでも丸2日近く停電状態だったことだ。当時我々は自分達のことで精一杯だったが、玉龍さんのお店でも相当大変なことになっていたに違いない。


賀 正

 新年を迎え、平素のご厚情に深謝致しますとともに
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

 平成23年 元旦 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

 そして2012年(平成24年)、辰・タツ年である。「龍」の年だ。敢えて[龍]の和凧を高く揚げようという絵柄に、震災からの復興の気概を感じることができる。


頌 春

 [龍]

 昨年中は大変お世話になりました
 今年もどうぞよろしくお願い致します
 平成24年 元旦 相撲茶屋 玉龍

クリックで拡大

 そして2013年(平成25年)、巳・ヘビ年である。
3年前の七福神から、恵比須さまが鯛を抱かえてご登場。


恵比須顔には福来たる
 本年も笑顔をどうぞよろしく

 二〇一三年 元旦 相撲茶屋 玉龍

玉龍さんからのご挨拶

クリックで拡大

 まったく申し訳なかったことに、最近行ってなかったので、突然のご閉店のお話しに驚いた。だったらもっと行っておくんだった、と今ごろ思ってももう遅い。
 それにしてもこうして、ちゃんとご挨拶を戴けるということは、恐縮を通り越して畏敬の領域である。


拝啓 時下ますますご清栄のことと存じます
平素はひとかたならぬお引き立てを賜りまして 心より御礼を申し上げます
さて 当店は皆様のご支援のおかげをもちまして 開店以来まる十九年営業をつづけてまいりました
しかし諸般の事情によりまして四月二十七日をもちまして閉店させていただくことになりました
これまでのご愛顧ご厚情に心より感謝申し上げますとともに 皆様の末永いご多幸をお祈りいたしまして ご挨拶とさせていただきます
皆様 長い間本当にありがとうございました     敬具

 平成二十五年四月吉日

 相撲茶屋 玉龍 永田大蔵

振り返って

 たった一度だけ幹事でお世話になったお客様に、ここまで御礼を尽くし、今後もご愛顧を願う、というのは、何大抵のことで出来るものではない。もし誰かがそんな話をしてくれたとしても、「ふ〜ん」と聞いてしまうだけだろう。
 しかし、玉龍さんのこの実績はちゃんと手元に残っている。ウラ面はパソコンで作ってあるが、なんとオモテ面の宛名書きは必ずすべて手書き。いったい何枚書いていたのだろうかと畏れ入ってしまう。これは、熱意か、誠意か、感謝か、そのどれかか、そのどれでもない何かか。
 結局は数える程しか行ってなかったお店なのに、単なる割烹・相撲料理店を越えた何かを感じさせてくれていたお店だった。昼間、駐車場への行き帰りなどで店の前を通ると、なんとなく背筋が伸びるような気がしたものだ。

 宇都宮から「相撲茶屋 玉龍」がなくなって、いまだに残念な思い。でも、何かの終わりは何かの始まり。今後ともどうぞよろしくお願いします。
2014年(平成26年)8月 増淵光伸



(追伸)
 玉龍さんは、郷里の長崎に戻られたようです。現地の新聞にイベントのニュースで登場されていました。お元気そうで、なによりです。
恐竜展3万人突破 長崎歴博、元関取の永田さん-【西日本新聞】

 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の「恐竜展2013」(KTNテレビ長崎西日本新聞社など主催)の来場者が19日、3万人を突破した。 3万人目は、元大相撲小結玉龍の永田大蔵さん(59)。長崎市出身の永田さんは44年ぶりに帰郷して、初めて歴史文化博物館に来たという。
 博物館の野間誠二統括マネジャーから記念品の図録や恐竜の人形を受け取ると、「15歳のころと比べると、街は随分と変わりましたね。いい記念になりました」と話した。恐竜展は10月14日まで。
=2013/09/20付 西日本新聞朝刊=(写真も)

住めば愉快だ宇都宮  宮カフェ  宇都宮を楽しもう
戻る

Copyright(C) 2004-2014 沌珍館企画